床に近い暮らしの物語|YUKA NOMAD
床に近い暮らしの物語|全話
第1話|そっと、床に触れた日。
まだ春の肌寒さが残る朝。
ベッドから降りた裸足が、ラグの上で止まった。
その“少し冷たいけど、やわらかい”感覚が、今日の気持ちを決めた気がした。
ああ、今日は家で深呼吸していたい──。
そのまま、ローソファに腰を落とし、窓の外の風を見る。
何も特別なことは起きていないけれど、
なんだか「暮らしを感じる」ってこういうことかもしれない、と思った。
第2話|「ただいま」が響く場所。
玄関のドアを閉めたとたん、音が吸い込まれた。
ローソファの奥に置いた間接照明だけが、部屋に輪郭を残している。
靴を脱いで、鞄を置き、床に手をついてそのまま“しゃがむ”。
ソファに座るより前に、
「ああ、やっぱりここだな」と思う瞬間がある。
背伸びも正解もいらない、自分だけの高さ。
“ただいま”を言う相手がいなくても、ここには自分の“帰る感覚”がある。
第3話|目線が合う距離。
日曜の午後。
テーブルに置いたコーヒーを片手に、ローソファに座る。
子どもは床に寝転びながら絵本を読んでいる。
会話はない。でも、ふと顔をあげた瞬間に目が合った。
ソファと床、たった20センチの差が、こんなにも自然に“気配”をつないでくれるなんて。
高さを合わせたわけじゃない。
ただ、床に近い暮らしが、ここにあるだけ。
距離を縮めようとしなくても、そばにいる感じってこういうことかもしれない。
第4話|夜が、降りてくる。
カーテンを閉めて、灯りを少しだけ落とす。
テレビもスマホも消して、音のない部屋にゆっくり座った。
ローソファに深く体を預けると、背中じゃなくて“耳”が床に近づく気がする。
小さな振動や、遠くの車の音が、まるで“夜の足音”のように感じられる。
明日どうするか、考えなくていい。
ここにこうして、夜と並んで座っていれば、それで十分。
夜が“静けさ”じゃなく、“安らぎ”になる場所。
床って、そんなふうに時間を迎え入れてくれる。
第5話|春が、座っていた。
朝起きて、ふと窓を開けた。
冷たい空気じゃなかった。どこか、やわらかい。
コーヒーを淹れて、そのままローソファに座る。
床に座るより、ほんの少し高くて、でも“立ち上がる気配”のない場所。
目の前の窓辺に光が差していて、猫が丸くなっていた。
ソファに深く沈みながら、思った。
春って、来るんじゃなくて“座ってる”ものなんだな。
なんてことのない朝。けれど、心が芽吹いた気がした。
第6話|ことばより、座る場所。
会話はほとんどない。でも、その沈黙ごと心地よかった。
ソファの上とラグの上、少しだけ高さの違う場所に座るふたり。
無理に言葉を交わさなくても、ちゃんと気配が伝わる午後。
きっと、わたしたちは“ことば”より、“座る場所”で理解し合っている。
第7話|名前のない時間。
誰とも話さず、なにも予定のない午後。
カーテン越しの光が足元をあたため、冷めたコーヒーが余白のように横たわる。
名前なんていらない。これは、わたしにだけ流れている静かな午後の記憶。
第8話|走る、わたしの床。
ベッドでも椅子でもない、床という高さに腰を下ろすと、
落ち着く。考えられる。食べられる。眠れる。
“動ける空間”なのに、ちゃんと根を下ろせる。
バンが停まる場所すべてが、今日の“マイルーム”になるから。
第9話|ただ、ここに座る夜。
誰にも見せないこの場所でだけ、ちゃんと“疲れた”って思える。
ローソファに深く座って、音のない夜と向き合う。
今日という一日が、静かに終わっていく場所。
第10話|気配が近づく場所。
子どもは床に寝転び、わたしはソファに座る。
ただそれだけで、自然に気配がつながっていく。
高さの差が、安心をつくる距離になる。
それが、わたしたちの“暮らしの重なり方”だった。
第11話|沈黙のなかの答え。
答えを急ぎたくなかっただけ。
ローソファに沈み、考えることそのものが重力になったようだった。
音も止めて、床の高さに身を置いたとき、
なにが大切で、なにが手放せそうかが、静かに浮かび上がってきた。
沈黙はなにもないんじゃない。
わたしがようやく“聴く側”になれた、そんな時間だった。
第12話|手放すという決断。
やめたあとに残った静けさが、思ったよりも心地よかった。
まだ握っていた“理想の自分”や過去をほどいて、
ローソファにゆだねたとき、深く息を吐けた。
手放すって、空っぽになることじゃない。
“あたらしい余白”をつくることなのかもしれない。
第13話|ここにいる練習。
どこかへ行こうとしていたわけじゃないのに、
心だけがいつも“先のこと”を考えていた。
何もない日曜の午後、床に伝わる温度や揺れるカーテンの音。
成し遂げていない時間が、わたしを落ち着かせてくれる。
ここにいる練習。
床の上で、静かに繰り返している。